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1年近く、綴ってきた SOMEDAY でしたが、とうとう、容量を使い切ってしまいそうです。
このカゲロウ谷を最後に、SOMEDAY は、終了することになりました。
いままで、たくさんの方に訪れて頂ありがとうございました。
そして、心のこもったコメントもたくさんいただき、わたしの大切な宝物です。
思い出の詰まったSOMEDAYは、今後は、わたしのホームページのコンテンツの中に、過去のブログの中に残しておこうと思います。

みなさん、今まで暖かく見守ってくださり、本当にありがとうございました。
10月からは、新たな気持ちで、新しいブログ“風立ちぬ”を綴っていきますので、よろしければ変わらずにお付き合いくださると嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

        風立ちぬ

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2009.10.07 Wed l 日々の想い l COM(0) TB(1) l top ▲
わたしが、初めてカゲロウに出逢ったのは、5月に咲くスミレを探しに行った帰り道のことだった。
さやさやと涼しげな音を立てて流れる渓流沿いの谷を登り、急勾配の斜面に取り付いた。
イタヤカエデの根元に、一株、純白のシコクスミレが咲いていた。
はじめて出逢えたシコクスミレの美しさに心躍らせたそんな日だった。
そして、尾根道や、タワになった日当りの良い林床には、小さな小さなフモトスミレが群落を造って咲いていて、夢のようにしあわせな時間を過ごして、登山口のある谷へと降りて来た。

午後3時を回って、谷は、早くも夕映えを迎えようとしていた。
谷を見守るように聳えた向かいの名も無い山の肩へと、夕日の色をした太陽が沈もうとしていた。

谷は見る間に、金色の光に包まれていった。
渓流の流れや、少し広くなった川面は、その光を受けてそれは眩しく美しく光り輝いたのだった。

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川面に渡された、丸木の小さな橋を渡りながら、その美しさに立ち止まらずにはいられなかった。
わたしは数枚、光る川面の写真を撮って目をこすった。
何かキラキラとした小さな物が川面を浮遊していた。
「なにかしら?」そう思って目を上げた瞬間、思わず息を呑んだ。

キラキラと金色に光り輝く小さな浮遊物は、ふわふわと浮かび上がっては沈む動作を繰り返しながら、川面いっぱいに舞い、やがて、谷いっぱいに乱舞した。
それは、とても不思議な光景だった。まるで、たくさんのティンカーベルに包まれたような気がした。
その谷の空気そのものが、金色とオレンジ色を滲ませた大きな川のようだと思った。

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やがて、太陽が向かいの山陰に消えていくと、急速に谷は色をなくしていくようだった。
色褪せていく景色とともに、幻のフェアリーたちも、輝きを失い、ついには姿が消えていった。

夕映え時の、ほんの数分間のドラマだった。その美しさと儚さに感動して、わたしは胸の奥から熱い想いがこみ上げるのを抑えることができなかった。
その生き物が、カゲロウだという事をわたしは後から知ったのだった。
初めて、カゲロウに出逢ったのは、新緑が美しい、初夏の息吹が感じられる森だった。

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そして、わたしが2度目にカゲロウに出逢ったのは、夏の名残りに浸りたくて出かけた9月初めの森だった。
今年も夏の終わりには、この地に足を運んでしまった。ダムサイトを回って、その奥へと林道を遡っていく。うっそうとした杉やヒノキの森陰を大きな川音を立てて上流から川が流れ込んでいた。
時おり、木の間越しに見える川面は、ところどころに人口の堰を流れていくのが見えたのだった。
そんな中に、白い水しぶきが見えた。「あら?あんなところに小さな滝があるわ…」
なんにでも興味を持つ好奇心旺盛なわたしは、すぐに、周りをきょろきょろと見回した。
どうやら、川に下りていけそうな、踏み後があることに気づいた。

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もちろん、その道を辿って、岩角を乗り越え、河原へと飛び降りたのは言うまでもない。。。
川幅は思ったよりも広く、透明で澄み切っていて、思っていたよりも浅かった。
わたしは、すぐに靴を脱ぎ捨て、ズボンの裾をまくりあげ、素足を川の中に浸す。
川床の石は、穏やかな流れにさらされて、角が削られたのか丸みがあって足の裏に優しかった。

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川面に映る緑の木々や、空の色が綺麗で、夏の名残りが輝いて見えた。
そして、川面を吹く風が柔らかくて涼やかで、秋の訪れを感じたのだった。
膝ぐらいまで濡らしながら、向こう岸へと渡り、靴を履き、林道から覗いた小さな滝を見に行った。

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その滝音とは別に、川上から、かなり大きな轟々とした水が流れ落ちる音がしていた。
わたしは、その音のするほうへと河原を歩いていった。緩やかにカーブした場所に差し掛かると、なにやら大きな水の流れ落ちる姿が見える。どうやら堰を流れ落ちているようだけれど、この場所から見ると凄い迫力で、大きな滑滝のような感じだった。

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湾曲した川面を回りきると、その姿が明らかになった。人口の堰とはいえ、素晴らしい景観だった。
午後の日差しに、木々の葉は輝きを増し、滴るように美しい緑が晩夏を印象づけ、堰の上の草深い岸辺には、ススキの穂が金色に輝き、しなやかに秋の訪れを謳っていた。

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わたしは、夏と秋の狭間に、佇み、澄み切った水の色や、川底の小石が金色に光るのを見つめた。
ひとしきり写真を撮っていると、また少し日が傾いたのか、川面はますます光り輝いて、まるで光る川の帯のように眩しかった。

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そんな川面の光が、水辺の岩にゆらゆらと揺らめきながら反射していてとても綺麗だった。
岸辺に座り、そんな光景を眺めていた時、川面に浮かぶ無数の光を見つけた。


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光の中を漂い浮かぶカゲロウたちだった。さっきまでいなかったのに、いったいどこから現れたのだろう…カゲロウの幼虫は、時季がくると水の中から浮かび上がってきて、背中が空気に触れると割れて羽化して成虫になるのだそうだ。きっと今しがた羽化したばかりなのだろう。
成虫になると、餌を食べずに夕暮れ時などに舞い数時間で交尾をし、卵を産み、死んでいくと言う。
今、彼らは命を繋ぐためにひたすら飛び続けているのだ。
本当に儚い生き物だけれど、生きるためのその営みは壮大だと思った。

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わたしは、夕映えの輝きがピークになり、だんだんと翳りながら色あせていくのを見守り続けた。
カゲロウたちは、飛翔を繰り返しながらカップルになり、少しづつ消えていった。
カゲロウの羽化は初夏の頃が一番多いと言う。確かに5月に見た谷いっぱいに乱舞する飛翔とは違って、川面に群れ飛ぶ小さな飛翔だったけれど、金色に輝く美しい姿だった。

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きっと、これが最期の羽化だったのかもしれない。
この場所に導かれたことを不思議に思いながら、少しずつ姿を消す、カゲロウたちの飛翔を見届けた。
どこか、遠い場所ではなく、すぐ身近の川の一隅で繰り広げられる美しくも不思議な光景を、いつかアイリスにも見せてあげたいと思った。
きっと、アイリスなら、わたしと同じ思いにとらわれることだろう。

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わたしは、また、裸足になって冷たさが増した川面を渡り林道へと戻ったのだった。

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《カゲロウについて調べたことを少し》
カゲロウ(蜉蝣)とは、節足動物門・昆虫綱・カゲロウ目(蜉蝣目)Ephemeropteraに属する昆虫の総称。昆虫の中で最初に翅を獲得したグループの一つであると考えられている。幼虫はすべて水生。不完全変態であるが、幼虫→亜成虫→成虫という半変態と呼ばれる特殊な変態をし、成虫は軟弱で長い尾をもち、寿命が短いことでもよく知られる。

成虫は餌を取らず、水中に産卵すると、ごく短い成虫期間を終える。
幼虫時代は一般に脱皮回数が多く、通常でも10回以上、時には40回に及ぶものもあると言われる。幼虫の期間は半年ないし1年程度で、終齢近くのものでは翅芽が発達する。不完全変態であり、蛹にはならない。羽化の時期は春から冬まで種や地域によって異なるが、初夏の頃が最も多く、時間も夕方頃が多い。羽化場所は水中、水面、水際など種によって異なっている。羽化したものは実は成虫ではなく、亜成虫(subimago)と呼ばれる。というのは、この亜成虫は、飛び立って後、別の場所で、改めて脱皮を行い、そこで初めて真の成虫になるからである。成虫は、よく明かりに集まるが、そういったところを探すと、脱皮柄がくっついているのを見ることができる。亜成虫は成虫とほぼ同形であるが、成虫に比べて毛が多く、脚や尾がやや太短く、翅が不透明であるなどの違いが見られ、性的には未成熟である。なお、翅が伸びた後に脱皮する昆虫は他にいない。
2009.09.30 Wed l 山と森 l COM(6) TB(1) l top ▲
アイリスと高速を飛ばして、山梨までマーガレットとてっちゃんを迎えに行った。
さわやかな秋空の下で、ススキの穂がしなやかに風に揺れ初々しく輝いていた。
道路の上をチラチラと舞いながら、時折、蝶たちが横切っていく。
モンシロチョウやキチョウだったり、ヒョウモンチョウやアカタテハだったり…
蝶たちはどうして、こんな激しい往来の道路を横切っていくのだろうね…
向こうの草原に何があるんだろう?卵を産もうとしているのかしら…

高く、トビが渡り、セキレイも波を打つような飛翔で飛び立っていく。
あっという間に過ぎ行く車窓なのに、そんな生き物たちの営みがわたしたちの心を捉えて離さないのだった。

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『空は真っ青…風も気持ち良さそうだね。もう、すっかり秋だね。』と、アイリスがつぶやく。

彼岸花が森影に赤く咲いていた。
そして、金色に実った田んぼの畦にもキラキラと輝くように咲いていた。

「子どもの頃お彼岸でおばあちゃんの家に行くと、彼岸花があぜ道に点々と咲き続いていたのよ。お墓に向かう道すがら、紅い火が灯っているような気がして、怖いなぁって思ったのよ。
今でも、その気持ちは残っているけれど、田んぼの畦に、金色の稲穂をバックに一叢、二叢と咲いていると、凄くいいなぁって思うのよ。何だか日本の原風景って感じ、写真に撮りたいなって思ったりするのよ。」と、わたし。

『でも高速じゃ、車止めてあげられないよ。』と、アイリスが笑う。

「ススキの穂も、今頃の出たばっかりのがいいね。野菊が楚々と咲く森の小道もいいし、大好きなのは夏だけれど、それとは別に、やっぱり自分の生まれた月は落ち着くよね。」と、わたし。

『うん、判るよ。わたしも秋が一番好き、そのなかでも特に好きなのは、自分が生まれた11月だもの。』とアイリスが言う。
やがて富士山が車窓に広がってきて、マーガレットの家に着いた。

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てっちゃんは、ほっぺが落ちそうなくらいふっくら笑顔…
先日は泣かれてしまったけれど、今日は大丈夫のようだった。
マーガレットとてっちゃんを乗せ、車はとんぼ返り…
帰り道、ショッピングモールに立ち寄り、お買い物をしようという事になった。
娘たちと一緒に買い物をするのは楽しい。おかあさんのお誕生日だからと、アイリスがお昼をご馳走してくれた。ありがとう♪

そして夕飯は、息子がご馳走してくれた。
てっちゃんがいるので、外に行くのは止めて、家ご飯、わたしの好きなお寿司だった。
ありがとう♪

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『おかあさん、ケーキもあるからね。』息子はケーキ屋さんに予約で頼んでおいてくれたらしい。
『プレートにメッセージを書きますので、何て書きましょうか?って、聞かれて、“おかあさん、お誕生日おめでとう”と書いてくださいって言うのが凄く恥ずかしかったよ。』と、笑いながら言っていた。

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ロウソクを立てて、明かりを消して、みんなで『おかあさん、お誕生日おめでとう!!』と、声を合わせてくれた。ふーっと、ロウソクを吹き消して…「みんな、どうもありがとうね!」
てっちゃんは、目を丸くしていた。(笑)

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マーガレットが、青い紙包みを、そっと差し出した。
『おかあさん、ほんの気持ちだけなんだけれど、お誕生日おめでとう!』
「え、そんな気を使わなくても良かったのよ。開けてもいい?」

青い包みは、マーガレットがラッピングしたのだろう。可愛らしいシールで止めてあった。
そっとシールを剥がし、包みを開いた。
「わぁ~♪すごいじゃない!ありがとう!可愛いい!」
それは、てっちゃんのポートレートだった。

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『何にしようかなと思ったんだけれど、おかあさんが喜んでくれるかなと思って…でも、全然、お金かかってなくてごめんね。』と、マーガレットがすまなそうに言った。
「そんなこと無いよ。とっても嬉しいプレゼントよ。ありがとう♪どこに飾ろうかな」
『おねえちゃん、やるじゃない♪』と、アイリスも言った。

わたしの誕生日に何か贈りたいと思い、一生懸命考えてくれたのだろう。
写真を選びながら、作ってくれたマーガレットの姿が浮かんできて胸が熱くなってしまった。

マーガレットとてっちゃんは、3日間滞在し4日目にアイリスとわたしで、山梨まで送っていった。
その間、わたしは充分、てっちゃんとスキンシップを楽しんだ。
そして、娘たちと買い物を楽しんだり、一緒に食事をしたり、楽しい3日間だった。

ふと、子どもたちが小さかった時の誕生日を思い出した。
一歳のお誕生日からずっと、欠かさずにお誕生日のお祝いを重ねてきた。
家族のメモリアルだと思った。そして、子どもたちが大人になって、いつか、同じように、わたしの誕生日を祝ってくれるようになった。
こうして、ずっと、年を重ねていけたなら、とても幸せなことだと思う。
家族に、そして、父母に感謝したのだった。

帰る日の朝、てっちゃんは、ご機嫌でみんなに笑顔を振りまいた。
ちょっとの間なら、こうして一人でお座りもしているのだった。

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2009.09.24 Thu l 日々の想い l COM(11) TB(0) l top ▲
鷹渡りを見たいと思ったのは、もう、かれこれ5年ぐらい前になる。
野鳥を心から愛するネット友のシューさんのBBSで、『今年も渡りが始まりましたね』
『今日はサシバの渡りが見られましたよ』『渡りは、壮大なロマンですね』
なんて書かれているのを見て、とても興味を持った。
もともと、渡り鳥に、自然の神秘を感じていたからと言うこともある。
わたしにとって渡り=旅というイメージがあったけれど、実際、鳥たちにとって
渡りとは命を繋ぐために繰り返される、生命をかけた旅なのだと思う。
 
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こうして、“鷹渡り”を見たい、見たいと思いながら、9月半ばの山を歩いては、
いつも空を見上げていたのに、ずっと見れずに来たのは、ひとえにわたしの勉強不足によるものだった。(^_^;)
わたしは、見晴らし良い山なら、どこかで見れるのではと思っていたのだった。
けれど、鷹は、気まぐれで飛び立っている訳ではないのだと言う事をやっと知った。
鷹の渡りとは、ちゃんと航空力学みたいな理由があっての事だった。

まず、鷹が渡る場所は、上昇気流が生じやすい地形であること。
鷹は、上昇気流に乗って、羽ばたかずにどんどんと高度を上げる。(これを帆翔と呼ぶ)
ある程度の高度まで上昇した時、今度はグライダーのように、空を滑空する。

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>高さをどれだけの移動距離に変換出来るかを滑翔効率と言うそうだが、ノスリの滑翔効率はおよそ11・・・高さの11倍の距離を滑翔出来るらしい。

これは、ネット検索中に出合ったサイトに書かれていた記述だ。
そのサイトさんによれば、上昇気流は陸上で発生し、水上では発生しにくいのだそうだ。
だから、タカは陸地沿いに飛び、海上は島伝いのコースをとることになるそうだ。
日本のサシバは琉球列島伝いにフィリピンに渡るのだという。

鷹の渡りには、上昇気流の発生しやすい地形や、上向きの風が生じる尾根沿いの通路などが不可欠なのだそうだ。次に、上昇気流が生じやすい、天候や時刻も限定される。
渡りに好都合な諸条件がそろった時、自ずとタカたちは同じ時刻に同じ場所に集まることになるのだという。

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そうだったのか!わたしは、目からうろこのような気がした。
ただ闇雲に、山を歩いていて、偶然の遭遇を期待しても駄目だということが良く判った。
一石二鳥で、見ようなんて甘い考えだったと思った。
わたしの住む地域で、鷹渡りが見れる場所は、“天覧山”だと、シューさんから教えていただいていたことを思い出し、「天覧山の鷹渡り」で検索したら、詳しく解説されたサイトも見つかった。
そこには、「秋の一日を棒に振るつもりで、ゆっくり眺めてください」と書かれていた。
今年は「鷹渡り」を見るために時間を費やしてみよう…と、素直に真剣に誓ったのだった。(^_^;)

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まずは実行あるのみ!!わたしは、遠い昔に、小学校の遠足で訪れた記憶を辿って、天覧山に下見に出かけた。
家から、約30キロほどだろうか。自転車で来るには、ちょうど良い距離だったし、山と思っていたその場所は、低い丘のような地形だった。
麓にある能仁寺というお寺からだと、ほんの20分もかからずに登ってしまえるほどだった。
わたしは、ちょっと回り道をして、谷津田のある高麗峠から登ってみた。

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高麗峠といっても傍らを国道が走るような街の中にあって、それでいて、国道や街を背にして、一歩踏み出せば、まるで別世界のような里山の風景が広がっているのだった。
高麗峠の入り口にはこんもりと茂る背の高い木があって、その木立の間を一筋の小道が続いている。
なんとなく、トトロの森みたいと思った。
関東ローム層の赤土の道は、子どもの頃に駆け回って遊んだ神社の森や、雑木林の中の小道を思い出して妙に懐かしかった。

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クヌギやコナラが多いような気がしたが、途中桜の木がたくさんあるところがあって、春は綺麗だろうなと思った。そんな小道にはひっそり石仏がが佇んでいた。

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木で刻まれた階段を少し息を切らしながら登ると、大きな木々に囲まれた広場にでた。

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ここが天覧山の頂上で、山頂を示す道標と、いわれを書いた看板が立てられ、細長い展望台が設けられていた。あっけなく、頂上に立てる割には、とっても見晴らしが良く、南東方向には飯能の市街地が広がっているのが眺められた。そして、平野部をはさんで、奥には丹沢から奥多摩、そして秩父へと山脈が青く連なり、見覚えのある奥多摩の山々が山座表で確認できた。

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「ふーん、こうなっていたんだった…」と、わたしは独り言を言う。子どもの頃、見慣れていた奥秩父の山々の連なりを思い出したからだった。今、わたしが住む場所からはまるで反対に見えることが何だか不思議な気がした。

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頂上をあちこち動き回った後、わたしは展望台から遠くを眺めた。
心地よい風が優しく吹いて絶え間なくわたしの髪に絡まる。
天覧山のある丘陵は、彼方の山に平行に伸びているような気がした。
きっと、こんな地形がこの地に上昇気流を生むに違いない。凄い!鷹渡りが見れる場所には、ちゃんと訳があったのだ。

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しばらく、展望台から見ていたら、トンボたちが気持ち良さそうに風に乗って飛んでいたし、2羽ほどカラスが渡っていった。鳶も一羽見ることが出来た。

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夏の名残りと、秋の始まりの、行き逢いの空を見上げて、眩しさに目を細めた。
鷹は見られなかったけれど、わたしは満足だった。翼に風をはらみ、青空を悠然と舞うタカの姿を想像しながら、わたしは山を降りた。 今度はきっと、旅立っていく鷹を見送ろう…。

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この山は、徳川綱吉の母が寄贈したという、羅漢が納められていることから、羅漢山とも呼ばれていたそうだ。低いながらも切り立った崖に、何体もの羅漢像が午後の光をまとっていた。

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麓の公園は、もう、桜モミジが始まっていた。

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エノコログサにも、金色の秋の光が…

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赤い木の葉に、色ずく秋の気配が…

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シロツメクサの花に、紅い桜の葉ひとつ…

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青き楓の葉に、夏の名残りの空蝉の光…

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彼岸花の赤い花が風を聴いていたのだった。

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2009.09.14 Mon l 里山 l COM(2) TB(0) l top ▲
「あっ!アオスジアゲハが、煌めきながらクスノキの繁みに入った」
夏の朝の出勤時、もう何年も前から、時々そんな光景に出逢っていた。。

黒い翅に美しいコバルトブルーのラインがはいった蝶
ステンドグラスのように透き通ったそのラインが、
熱く照りつける真夏の日差しの下で輝けば、なぜか、わたしに南国の海の色を思わせる。そして、スピード感あるすばやい飛翔に、ドキッとぢて、いつも魅了されてしまう。
わたしは、クスノキの街路樹の下に立ち止まって、もう一度あのときめくブルーラインが見れないかと見上げてしまうのだった。

アオスジアゲハの食草はクスノキの葉だというから、きっとこのクスノキに卵を産み付けているのかもしれない。
こうして、毎年、アオスジアゲハに逢えると言う事は、ずっと命が繋がっているのだと思う。

たった、それだけのことなのだけれど、ぱっと、こころがときめいてしまう。
そして、こんな歓びを教えてくれたあなたのことを考える。

街の通りを煌めきながら飛翔してゆく蝶を見かけたら、
きっとあなたも立ち止まっていると思う。今のわたしのように…

2009.09.12 Sat l 日々の想い l COM(2) TB(0) l top ▲
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