わたしが、初めてカゲロウに出逢ったのは、5月に咲くスミレを探しに行った帰り道のことだった。
さやさやと涼しげな音を立てて流れる渓流沿いの谷を登り、急勾配の斜面に取り付いた。
イタヤカエデの根元に、一株、純白のシコクスミレが咲いていた。
はじめて出逢えたシコクスミレの美しさに心躍らせたそんな日だった。
そして、尾根道や、タワになった日当りの良い林床には、小さな小さなフモトスミレが群落を造って咲いていて、夢のようにしあわせな時間を過ごして、登山口のある谷へと降りて来た。
午後3時を回って、谷は、早くも夕映えを迎えようとしていた。
谷を見守るように聳えた向かいの名も無い山の肩へと、夕日の色をした太陽が沈もうとしていた。
谷は見る間に、金色の光に包まれていった。
渓流の流れや、少し広くなった川面は、その光を受けてそれは眩しく美しく光り輝いたのだった。

川面に渡された、丸木の小さな橋を渡りながら、その美しさに立ち止まらずにはいられなかった。
わたしは数枚、光る川面の写真を撮って目をこすった。
何かキラキラとした小さな物が川面を浮遊していた。
「なにかしら?」そう思って目を上げた瞬間、思わず息を呑んだ。
キラキラと金色に光り輝く小さな浮遊物は、ふわふわと浮かび上がっては沈む動作を繰り返しながら、川面いっぱいに舞い、やがて、谷いっぱいに乱舞した。
それは、とても不思議な光景だった。まるで、たくさんのティンカーベルに包まれたような気がした。
その谷の空気そのものが、金色とオレンジ色を滲ませた大きな川のようだと思った。

やがて、太陽が向かいの山陰に消えていくと、急速に谷は色をなくしていくようだった。
色褪せていく景色とともに、幻のフェアリーたちも、輝きを失い、ついには姿が消えていった。
夕映え時の、ほんの数分間のドラマだった。その美しさと儚さに感動して、わたしは胸の奥から熱い想いがこみ上げるのを抑えることができなかった。
その生き物が、カゲロウだという事をわたしは後から知ったのだった。
初めて、カゲロウに出逢ったのは、新緑が美しい、初夏の息吹が感じられる森だった。

そして、わたしが2度目にカゲロウに出逢ったのは、夏の名残りに浸りたくて出かけた9月初めの森だった。
今年も夏の終わりには、この地に足を運んでしまった。ダムサイトを回って、その奥へと林道を遡っていく。うっそうとした杉やヒノキの森陰を大きな川音を立てて上流から川が流れ込んでいた。
時おり、木の間越しに見える川面は、ところどころに人口の堰を流れていくのが見えたのだった。
そんな中に、白い水しぶきが見えた。「あら?あんなところに小さな滝があるわ…」
なんにでも興味を持つ好奇心旺盛なわたしは、すぐに、周りをきょろきょろと見回した。
どうやら、川に下りていけそうな、踏み後があることに気づいた。

もちろん、その道を辿って、岩角を乗り越え、河原へと飛び降りたのは言うまでもない。。。
川幅は思ったよりも広く、透明で澄み切っていて、思っていたよりも浅かった。
わたしは、すぐに靴を脱ぎ捨て、ズボンの裾をまくりあげ、素足を川の中に浸す。
川床の石は、穏やかな流れにさらされて、角が削られたのか丸みがあって足の裏に優しかった。

川面に映る緑の木々や、空の色が綺麗で、夏の名残りが輝いて見えた。
そして、川面を吹く風が柔らかくて涼やかで、秋の訪れを感じたのだった。
膝ぐらいまで濡らしながら、向こう岸へと渡り、靴を履き、林道から覗いた小さな滝を見に行った。



その滝音とは別に、川上から、かなり大きな轟々とした水が流れ落ちる音がしていた。
わたしは、その音のするほうへと河原を歩いていった。緩やかにカーブした場所に差し掛かると、なにやら大きな水の流れ落ちる姿が見える。どうやら堰を流れ落ちているようだけれど、この場所から見ると凄い迫力で、大きな滑滝のような感じだった。

湾曲した川面を回りきると、その姿が明らかになった。人口の堰とはいえ、素晴らしい景観だった。
午後の日差しに、木々の葉は輝きを増し、滴るように美しい緑が晩夏を印象づけ、堰の上の草深い岸辺には、ススキの穂が金色に輝き、しなやかに秋の訪れを謳っていた。


わたしは、夏と秋の狭間に、佇み、澄み切った水の色や、川底の小石が金色に光るのを見つめた。
ひとしきり写真を撮っていると、また少し日が傾いたのか、川面はますます光り輝いて、まるで光る川の帯のように眩しかった。


そんな川面の光が、水辺の岩にゆらゆらと揺らめきながら反射していてとても綺麗だった。
岸辺に座り、そんな光景を眺めていた時、川面に浮かぶ無数の光を見つけた。



光の中を漂い浮かぶカゲロウたちだった。さっきまでいなかったのに、いったいどこから現れたのだろう…カゲロウの幼虫は、時季がくると水の中から浮かび上がってきて、背中が空気に触れると割れて羽化して成虫になるのだそうだ。きっと今しがた羽化したばかりなのだろう。
成虫になると、餌を食べずに夕暮れ時などに舞い数時間で交尾をし、卵を産み、死んでいくと言う。
今、彼らは命を繋ぐためにひたすら飛び続けているのだ。
本当に儚い生き物だけれど、生きるためのその営みは壮大だと思った。


わたしは、夕映えの輝きがピークになり、だんだんと翳りながら色あせていくのを見守り続けた。
カゲロウたちは、飛翔を繰り返しながらカップルになり、少しづつ消えていった。
カゲロウの羽化は初夏の頃が一番多いと言う。確かに5月に見た谷いっぱいに乱舞する飛翔とは違って、川面に群れ飛ぶ小さな飛翔だったけれど、金色に輝く美しい姿だった。

きっと、これが最期の羽化だったのかもしれない。
この場所に導かれたことを不思議に思いながら、少しずつ姿を消す、カゲロウたちの飛翔を見届けた。
どこか、遠い場所ではなく、すぐ身近の川の一隅で繰り広げられる美しくも不思議な光景を、いつかアイリスにも見せてあげたいと思った。
きっと、アイリスなら、わたしと同じ思いにとらわれることだろう。


わたしは、また、裸足になって冷たさが増した川面を渡り林道へと戻ったのだった。

《カゲロウについて調べたことを少し》
カゲロウ(蜉蝣)とは、節足動物門・昆虫綱・カゲロウ目(蜉蝣目)Ephemeropteraに属する昆虫の総称。昆虫の中で最初に翅を獲得したグループの一つであると考えられている。幼虫はすべて水生。不完全変態であるが、幼虫→亜成虫→成虫という半変態と呼ばれる特殊な変態をし、成虫は軟弱で長い尾をもち、寿命が短いことでもよく知られる。
成虫は餌を取らず、水中に産卵すると、ごく短い成虫期間を終える。
幼虫時代は一般に脱皮回数が多く、通常でも10回以上、時には40回に及ぶものもあると言われる。幼虫の期間は半年ないし1年程度で、終齢近くのものでは翅芽が発達する。不完全変態であり、蛹にはならない。羽化の時期は春から冬まで種や地域によって異なるが、初夏の頃が最も多く、時間も夕方頃が多い。羽化場所は水中、水面、水際など種によって異なっている。羽化したものは実は成虫ではなく、亜成虫(subimago)と呼ばれる。というのは、この亜成虫は、飛び立って後、別の場所で、改めて脱皮を行い、そこで初めて真の成虫になるからである。成虫は、よく明かりに集まるが、そういったところを探すと、脱皮柄がくっついているのを見ることができる。亜成虫は成虫とほぼ同形であるが、成虫に比べて毛が多く、脚や尾がやや太短く、翅が不透明であるなどの違いが見られ、性的には未成熟である。なお、翅が伸びた後に脱皮する昆虫は他にいない。